小松法律事務所

体外受精出産について自己決定権侵害を認めた地裁判決紹介


○原告が、元妻である被告Aが、別居中に、同意書を偽造して被告医療法人Bが開設する診療所において凍結保存していた受精卵を無断で用いて原告の嫡出子となる子を妊娠・出産したことについて、被告A、被告医療法人B及びBの理事長である被告Cに対し、共同不法行為に基づく損害賠償として2000万円の支払を求めました。

○これに対し、被告Aは、被告Aとの間で子をもうけるかどうかという自己決定権を侵害するなどした不法行為責任を負うが、被告医療法人Bらが、原告に対し直接の意思確認をすべきであったのにこれを怠ったとは認められないとして、被告Aに慰謝料880万円の支払を命じ、被告B・Cに対する請求を棄却した令和2年3月12日大阪地裁判決(判時2459号3頁)関連部分を紹介します。

○原告と被告Aは,平成26年4月10日,同日に手続に着手する体外受精について,「体外受精・顕微授精に関する同意書」等必要な各種同意書を各自,署名押印して、本件クリニックに提出し、同日、原告は精子を同クリニックに提出し、同日,採取された被告Aの卵子と原告の精子と受精させ,受精卵(胚)の培養が行われました。

○ところがその2日後4月12日、原告と被告Aは別居し、10日後の4月22日に、被告Aが、原告に無断で原告欄に原告名を記載して、「私たち夫婦は,現在凍結保存中の胚を貴院にて融解し胚移植を受けることに同意します」との「融解胚移植に関する同意書」を本件クリニックに提出してて,融解胚移植を受け、最終的に出産に至りました。原告は、生まれた我が子に対し、嫡出否認の訴え、親子関係不存在確認の訴えを提起しましたがいずれも認めらず、損害賠償の請求に至りました。

○精子を提供した原告は、2日後に別居しているのに、本件クリニックには何ら連絡をしていなかったようで、そのため本件クリニックの責任は認められませんでした。原告は、本件クリニックに一言「体外受精は止めます」と伝えて居ればこのような事件は起きなかったと思われます。880万円の慰謝料は高すぎるような気もしますが、双方控訴しているようで、控訴審がどうなるか興味あります。

***********************************************

主    文
1 被告Aは,原告に対し,880万円及びこれに対する平成27年4月20日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
2 原告の被告Aに対するその余の請求並びに被告医療法人B及び被告Cに対する請求をいずれも棄却する。
3 訴訟費用は,原告と被告Aとの間においては,これを5分し,その3を原告の負担とし,その余を被告Aの負担とし,原告と被告医療法人B及び被告Cとの間においては,いずれも原告の負担とする。
4 この判決は,1項に限り,仮に執行することができる。 
 
事実及び理由
第1 請求

 被告らは,原告に対し,連帯して,2000万円及びこれに対する平成27年4月20日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

第2 事案の概要等
1 事案の概要

 本件は,原告が,被告Aは,原告の同意を得ることなく,同意書を偽造して被告医療法人Bが開設する診療所において融解胚移植の方法により妊娠して原告の嫡出子となる子を出産し,また,被告医療法人B及び被告Cは原告の意思を確認することのないまま融解胚移植を行ったと主張し,被告らに対し,共同不法行為に基づき,2000万円及びこれに対する融解胚移植の実施日である平成27年4月20日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求める事案である。

(1) 当事者
ア 原告(昭和○年○月○日生まれ)と被告A(昭和○年○月○日生まれ)は,平成22年7月7日に婚姻し,東京都内の居宅(以下「本件居宅」という。)で同居していたが,平成26年4月12日に別居するに至り,平成29年11月30日に協議離婚した元夫婦である(甲1)。

イ 被告医療法人Bは,診療所を経営し,科学的でかつ適正な医療を普及することを目的として平成7年2月16日に設立された医療法人であり,主たる事務所所在地のビル内で,不妊治療を専門とする「D」という名称の診療所(以下「本件クリニック」という。)を開設している。

ウ 被告Cは,被告医療法人Bの理事長かつ本件クリニックの院長であり,体外受精の手続を定め,同手続によって被告Aを妊娠させたものである(以下,被告医療法人Bと被告Cを併せて「被告医療法人Bら」という。)。

(2) 体外受精の概要
 体外受精とは,Ⅰ精子と卵子をそれぞれ個別に体外に採取し,Ⅱ卵子を採取してから数時間以内に精子と卵子を1つのシャーレ内に入れ,自然に受精するのを待ち,Ⅲ受精卵を培養し,Ⅳ5日目の胚盤胞まで育ったところで凍結保存し,その後,Ⅴ凍結しておいた胚盤胞を融解して移植し,Ⅵ妊娠を目指すというものである。

(3) 被告Aの妊娠・出産に至る経緯
ア 被告Aは,平成25年9月23日,本件クリニックを初めて受診した。

イ 原告及び被告Aは,平成26年4月10日,同日に手続に着手する体外受精について,①「体外受精・顕微授精に関する同意書」,②「卵子,受精卵(胚)の凍結保存に関する同意書」及び③「凍結保存受精卵(胚)を用いる胚移植に関する同意書」に各自,署名押印し,被告Aはこれを本件クリニックに提出した。

 当該書面は,上記①~③等が一体となった1枚紙であり,それぞれの同意文言の下に夫婦それぞれのイニシャルを記載する欄があり,書面末尾に,本件クリニック院長(被告C)宛てで,日付及び夫婦それぞれの氏名を署名押印する欄が設けられている。(以上につき,乙1,25。以下,上記①~③が一体となった1枚紙を「本件同意書1」という。)

 なお,原告及び被告Aは,平成25年11月6日及び平成26年2月4日にも同様の書面を作成し,被告Aは,本件クリニックにおいて,平成25年11月11日,同年12月7日及び平成26年2月4日にそれぞれ採卵している。したがって,平成26年4月10日に着手される体外受精は,原告及び被告Aにとって,4件目の体外受精であった。

ウ 原告は,平成26年4月10日,精子を採取し,新鮮精子として体外受精に使用することに同意の上,これを提供した(前記(2)Ⅰ)(乙39〔4頁〕,丙1)。

エ 被告Aは,平成26年4月10日,本件クリニックにおいて,採卵した(前記(2)Ⅰ)。本件クリニックでは,同日,採取された被告Aの卵子と前記ウの原告の精子と受精させた上,当該受精卵(胚)の培養が行われた(前記(2)ⅡⅢ)。(以上につき,乙26,38)

オ 原告は,平成26年4月12日,被告Aと別居を開始した。

カ 本件クリニックにおいて,平成26年4月15日,前記エの受精卵が冷凍保存された(前記(2)Ⅳ)(乙12〔35頁〕)。

キ 被告Aは,平成27年4月22日,「融解胚移植に関する同意書」(以下「本件同意書2」という。)を本件クリニックに提出し,同所において,融解胚移植を受けた(前記(2)Ⅴ)(甲2。以下「本件移植」という。)。
 同書面には,「私たち夫婦は,現在凍結保存中の胚を貴院にて融解し胚移植を受けることに同意します」との記載があり,夫氏名及び妻氏名をそれぞれ記載する欄が設けられているところ,被告Aは,妻氏名欄に自署するとともに,夫氏名欄に自署と筆跡を変えて原告氏名を記載した(以下「本件署名」という。)。

ク 被告Aは,平成27年5月2日,本件クリニックにおいて,妊娠判定採血を受け,陽性判定を受けた(前記(2)Ⅵ)(乙6〔9,27,48頁〕)。

ケ 被告Aは,平成27年6月6日,原告に対し,「妊娠した。私の想いも考えも手紙に書いた事が全てです」などとするLINEメッセージを送信し,妊娠を告げた(丙8〔1頁〕)。

コ 被告Aは,平成▲年▲月▲日,子(以下「本件子」という。)を出産した。

(4) 被告Aによる本件子の出産後の経過
ア 原告は,平成28年8月8日,被告Aを相手取って,離婚調停を申し立てたが,同調停は不調に終わった。
 原告は,平成29年5月19日頃,離婚,本件子の親権者を被告Aと定めること及び財産分与を求める離婚等請求訴訟を提起したが,訴訟係属中の同年11月30日,被告Aとの間で,本件子の親権者を被告Aと定めて協議離婚した。
 大阪家庭裁判所は,平成31年3月13日,被告Aに対して,財産分与として374万1849円及び遅延損害金を原告に支払うよう命じる判決を言い渡した。同判決では,原告及び被告Aの合意に基づき,被告Aの原告に対する財産分与額から,婚姻費用分担審判において確定した本件子の養育費を含む婚姻費用124万円(①平成28年11月から平成29年10月までの婚姻費用118万円と②平成29年11月の婚姻費用6万円の合計額)が控除されていた。(以上につき,甲34)

イ 原告は,本件子を相手取り,平成28年12月21日に嫡出否認請求訴訟を,平成29年6月21日に親子関係不存在確認訴訟をそれぞれ提起したが,大阪家庭裁判所は,令和元年11月28日,嫡出否認請求を棄却し,親子関係不存在確認請求に係る訴えを却下する判決を言い渡し,その後,同判決は確定した。

3 争点

              (中略)



第3 当裁判所の判断
1 認定事実

 前記前提事実,後掲証拠,証拠(甲35,乙42,丙14,原告本人,被告A本人,被告医療法人B代表者兼被告C本人〔ただし,いずれも後記認定に反する部分を除く。〕)及び弁論の全趣旨によれば,本件に関し,以下の事実が認められる(なお,事実認定に関する補足説明を括弧書きで記載した。)。
(1) 別居に至るまでの受診経過について
  

              (中略)


2 争点1(被告Aの責任原因)について
(1) 認定事実(1),(2)のとおりの原告と被告Aとが取り組んだ別居に至るまでの体外受精の状況,別居後の体外受精の状況,別居後本件移植に至るまでの夫婦関係の状況に照らせば,原告は,別居直前まで,各同意書に自ら署名し,被告Aの求めに応じて精子を提供するなど体外受精に積極的に協力していたところ,被告Aに対し,別居開始時点において,離婚前提の別居であるとして不妊治療は中止してほしいと伝えておらず,別居後も,再度の同居の可能性を留保したやり取りをしていること,原告は,被告Aが別件手術後の不妊治療を前提として同手術を受けることを認識した上で,病院を訪問するなどしていることからすると,原告は,別居後少なくとも一定期間は,原告との子を懐胎することを前提とした被告Aの不妊治療の継続を認識しつつこれを中止するよう求めていなかったものであり,被告Aにおいても,原告が不妊治療の継続に反対していると認識していたとはいえない。

 しかしながら,本件移植を行うに際しては原告の同意を要するものであったことは事柄の性質上明らかであるところ,原告と被告Aとは,そもそも夫婦関係が良好ではなかったために別居するに至っており,その後,両者の関係が改善に向かっていたとはいえないこと,原告が,被告Aに対し,遅くとも平成26年12月20日の時点において,不妊治療について積極的ではない態度を示していたことに加えて,認定事実(3),(4)のとおり,原告が,被告Aからの本件子の懐胎の連絡に対して拒否的な反応を示したこと,被告Aが,原告の母親に対する手紙において「何度もこんなまま移植すべきでない事も考えました」と記載しており,原告に対するLINEメッセージにおいても「同意書は遠方であっても原告に署名してもらうべきであったことは分かっていたが,一刻を争う移植に際してそこまではできなかった」旨記載していることを指摘できることからすると,原告は,被告Aが本件同意書2に原告名の署名をした平成27年4月20日時点において,本件移植に同意していなかったものと認められ,被告Aも,同時点において,原告が本件移植に同意していないことを認識していたか容易に認識し得たものであったと認められる。

(2) したがって,被告Aは,原告に対し,被告Aとの間で本件子をもうけるかどうかという自己決定権を侵害するなどした不法行為責任を負うものである。

3 被告医療法人Bらの責任原因(争点2)について
(1) 認定事実(1)カのとおり,原告が本件同意書1に自署しているところ,同書面には,手術前に取りやめたくなった場合には同意書を取り下げることができると明確に記載されていることを指摘できるところ,原告が,本件移植以前に,被告医療法人Bらに対して,同意を撤回するとの意思表示をしていないことに照らせば,被告医療法人Bらは,胚移植の同意を含む本件同意書1に顕れた原告の同意に基づき,本件移植を実施したと認められる。

 そして,本件同意書2の原告の署名は,その体裁に照らして,原告の従前の署名と対比して異なることが容易に判明するものであるとはいえない上,学会の見解(会告)においても,本件各同意書の書式及び作成方法はこれに沿ったものであり,同意書への署名以外に,本人に直接電話をかけるなどしてその同意を確認することまでを推奨してはいないから(認定事実(1)カ),このような取り扱いが不妊治療についての医療水準として不相当なものとはいえないことに照らすと,原告が主張するその他の事情を考慮しても,被告医療法人Bらが,本件移植に際して,原告に対し,直接の意思確認をすべきであったのにこれを怠ったとは認められない。

(2) 以上によれば,被告医療法人Bらが,原告に対し,不法行為責任を負うとの原告の主張は採用できない。

4 争点3(原告の損害)について
(1) 被告Aの得べかりし収入,妊娠出産費用,婚姻費用中の生活費,別訴裁判費用(原告の主張ア~エ)
 前記2のとおり,原告は,別居直前まで不妊治療に積極的に協力しており,別居後少なくとも一定期間は,原告との子を懐胎することを前提とした被告Aの不妊治療の継続を認識しつつこれを中止するよう求めていなかったものであり,本件移植を行うことに同意していなかったものであっても,本件移植を行わないことを被告Aとの間で明確にしたものでないことに照らせば,妊娠・出産に伴う就労状況の変化や妊娠出産費用,生活費の支出増加の可能性は,被告Aの不妊治療に当然に内在していたものである上,被告Aが得られた収入の額及び得られる蓋然性,妊娠出産費用の額,別訴裁判費用の額の具体的な立証はないから,被告Aの不法行為と相当因果関係のある原告の損害とは認められず,原告の主張する事情は後記(3)の慰謝料額を算定する際に必要な範囲で考慮することとする。

(2) 養育費(原告の主張カ)
 家庭裁判所において,本件子の出生に至る経過や事情も考慮した上で,相当額を養育費として算出し,原告の債務として確定しているのであるから,これに基づき既に支払われ,今後支払われることになる養育費は,被告Aの不法行為と相当因果関係のある原告の損害とは認められず,原告の主張する事情は後記(3)の慰謝料額を算定する際に必要な範囲で考慮することとする。

(3) 慰謝料(原告の主張オ)
 前記2で認定したとおり,原告は,被告Aとの間で本件子をもうけるかどうかという自己決定権を侵害されるなどしたものであって,これにより多大な精神的苦痛を被ったというべきところ,前記(1),(2)を含め本件に顕れた一切の事情に照らせば,慰謝料は800万円が相当である。

(4) 弁護士費用(原告の主張キ)
 本件の事情に照らせば,弁護士費用は前記(3)の1割である80万円が相当である。

(5) 合計880万円

5 結論
 よって,原告の被告Aに対する請求は,主文1項掲記の限度で理由があるからこれを認容し,その余の請求は理由がないからこれを棄却し,原告の被告医療法人Bらに対する請求は,全部理由がないからこれを棄却することとし,主文のとおり判決する。
 大阪地方裁判所第11民事部
 (裁判長裁判官 菊地浩明 裁判官 後藤誠 裁判官 足立瑞貴)