小松法律事務所

親権者変更に伴い親権者母・監護権者祖父と指定した家裁審判紹介


○「親権者変更の場合の注意点-条件・期限はダメ、父母以外の監護権者は」の続きで、親権者変更に伴い、監護権者を例えば祖父母等の親以外の第三者に指定された昭和57年4月12日大阪家裁審判(家月35巻8号118頁)全文を紹介します。

○同審判では、離婚時に親権者となった父の死亡後、母から親権者変更の、また、父方祖父から子の監護に関する処分の各申立てがなされた事案で、未成年者らは祖父の下で安定した生活を継続し、母と別居後約5年間経過し親近感に欠けるところがあることから、直ちに母と生活させるより祖父との生活を継続させ、母と円滑に同居することができる機会を待つのが未成年者らの福祉に合致するとして、未成年者らの親権者を母に変更し、監護者を祖父と定めました。

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主  文
一 事件本人3名の親権者を西田A(昭和53年12月15日死亡)から申立人山村Bに変更する。
二 事件本人3名の監護者を申立人西田Cと定める。

理  由
一 昭和56年(家)第3926号乃至第3928号親権者変更申立事件の申立の趣旨は主文第一項と同旨であり、昭和57年(家)第462号乃至第464号子の監護に関する処分申立事件の申立の趣旨は主文第二項と同旨である。

二 本件各記録並びに本件に関連する当庁昭和57年(家イ)第389号乃至第391号扶養程度方法協議申立事件記録及び当庁昭和55年(家)第829号乃至第831号親権者変更申立事件記録によれば、次の事実が認められる。
1 本件昭和56年(家)第3926号乃至第3928号親権者変更申立事件申立人(以下、単にBという。)は、昭和41年8月25日西田Aと婚姻し、本件事件本人3名をもうけて、大阪市○○区を経て昭和49年ころから奈良県○○○郡において上記家族及びAの両親である昭和57年(家)第462号乃至第464号子の監護に関する処分(監護者指定)申立事件申立人(以下、単にCという。)と、DさらにAの弟Eと同居して生活していたところ、BとAとは次第に夫婦の折り合いが悪くなり、昭和52年ころBが事件本人らを残して実家に戻り、Aと別居した。その後、BとAとは離婚の話し合いをなし、昭和53年9月29日奈良家庭裁判所葛城支部において事件本人らの親権者をいずれもAと定めて調停離婚した。

2 Bは上記離婚に際し、事件本人らを引き取り自ら養育することを望んだが、生活が不安定であり、Aが養育費の支払を拒み、親権者となることを強く望んだことから一応親権者をAと定めたものである。

3 事件本人らは、AとBが上記別居して以来いずれもA、C及びDに養育されていたが、昭和53年12月15日Aが自殺して死亡した。

4 Cは、A死亡後事件本人らの養育を継続したが、自身が多忙であることに加え、Dも老令で病身であつたので次第に事件本人らを養育することが重荷となり、Bに対し、事件本人らの引き取りを求めて昭和54年7月19日大阪家庭裁判所堺支部に事件本人らの親権者を亡AからBに変更する旨の事件〔同庁昭和54年(家)第433号乃至第435号〕を申立てた。右事件は、昭和55年2月29日当庁に回付された〔当庁昭和55年(家)第829号乃至第831号親権者変更申立事件〕。

5 上記親権者変更事件につき、Bは、当時居住家屋が狭隘で、収入も低額であつたので、経済的に自立することに不安があつたのと、事件本人らが相続により取得すべき亡Aの相続財産の範囲をCが明確にしなかつたことなどから、事件本人らを直ちに引き取ることに同意しないでいたところ、Cは、上記事件申立後である昭和54年8月ころからCの三女であるFがC宅に同居して生活するようになり、次第にFが事件本人らの事実上の養育を引き受けるようになつたので、昭和55年2月ころ肩書住所地の居宅に転居のうえ、Fの協力をえて自から事件本人らの養育を継続していく意思を固め、昭和56年3月26日上記親権者変更申立事件を取下げた。尚、Dは昭和55年6月25日死亡した。

6 その後、Cは、昭和56年10月10日、Bとその両親を相手方として同人らが負担すべき事件本人らの扶養料額の確定と過去の扶養料の支払を求めて当庁に扶養程度方法協議事件を申立てた〔当庁昭和56年(家)第3507号乃至第3509号〕。
 一方、Bは、昭和56年11月11日当庁に事件本人らの親権者を亡AからBに変更する審判を求める旨の事件を申立てた〔当庁昭和56年(家)第3926号乃至第3928号親権者変更申立事件〕。

7 上記扶養程度方法協議申立事件と上記親権者変更申立事件とは併行して調査・審問されたところ、その過程でCとBとは、昭和57年2月4日事件本人らの扶養料の支払につき、BがCに対し、金300万円を支払う旨の合意をなした。

 そこで、上記扶養程度方法協議申立事件は同日調停に付されて上記合意のとおり調停が成立した〔当庁昭和57年(家イ)第389号乃至第391号〕。さらに、同日CとBとは、事件本人らの事実上の養育は従前どおりCにおいてなすことにしたうえで親権者をBに変更することに異議がない旨合意した。そして、上記合意の趣旨にのつとり、Cは同月6日当庁に対し事件本人らの監護者をCとする旨の審判事件を申立てた〔当庁昭和57年(家)第462号乃至第464号子の監護に関する処分(監護者指定)申立事件〕。

8 Cは、上記のとおり、AとBとが別居した昭和52年以来今日まで事件本人らと同居生活を継続してきているところ、大阪市○○区に共同住宅を所有し、これを賃貸して収入を得たうえ、安定した生活をしており、事件本人らの養育を継続するにつき格別支障となる事情はない。

9 Bは、上記Aと別居して以来肩書住所地の借家に一人住いをし、昭和54年4月ころから大学病院に看護補助者として勤務しているが、現在では収入も安定し、事件本人らを引き取つても十分経済的に自立していける状況にある。

10 事件本人Gは、高校受験に合格し昭和57年4月から奈良県立○○高校に進学することになつており、事件本人Hは中学校1年在学中であり、事件本人Iは小学校5年在学中であつて、いずれも落ち着いた学校生活を送つており、3名ともCの適切な監護のもとに順調に成育しており、その日常生活につき不安は認められない。

 事件本人Gは、今直ちにBとの同居生活を望んでいないように見受けられ、事件本人HはBを慕いながらもCとBとが同居生活できないことを理解したうえで、Cのもとを去ることにとまどいを感じており、事件本人Iは、CとBとの現在の関係を理解できずに、Bとの同居生活を望んでいる。

三 以上認定の諸事情を総合勘案すると、Bが事件本人らの親権者となることについて、格別不都合、不適当と認められる事情はないが、ただ、事件本人らは現在Cのもとで安定した生活を継続しており、かつ、Bと事件本人らが別居して生活するようになつて以来今日まで約5年間が経過してこの間互いに面接の機会がなかつたので親近感にやや欠けるところがあるとも解せられるので、今直ちに事件本人らをBのもとで生活させるよりも、むしろ、暫くCのもとでの生活を継続させ、Bと事件本人らとが愛情ある接触の機会を積み重ねたうえ円滑に同居に至るのが、事件本人らの福祉に合致するものと解される。従つて、現時点においては、事件本人らの監護者をCと定めたうえ、事件本人らの親権者を亡AからBに変更するのが相当であると思料する。

四 以上により、本件親権者変更申立事件(ただし、監護権の部分を除く)及び子の監護に関する処分(監護者指定)申立事件はいずれも相当であると認め、主文のとおり審判する。
 (家事審判官 岡村稔)