小松法律事務所

職場上司の妻への性行為強要を理由とする損害賠償請求棄却判例紹介


○妻が勤務先上司と男女関係になったことについて上司だけでなく勤務先に対しても損害賠償請求ができますかとの質問を受け、関連判例を探したところ、自己の妻Bが職場(被告信金)の上司(被告Y1)から長期間性行為を強要され精神的苦痛を被ったと主張して上司に対して不法行為(民法709条)に基づき,職場に対して使用者責任(民法715条)に基づき,連帯して,慰謝料300万円及び弁護士費用30万円の損害賠償請求をした事案の平成28年12月27日東京地裁判決(ウエストロー・ジャパン)が見つかりました。

○ところが、判決は「Bと被告Y1との関係は約6年半にも及んでいる上,必ずしも性行為のみならず,被告Y1がBに対してプレゼントを贈ったり,被告Y1とBとが一緒にイベントに参加したりもしていたことを併せ考えると,被告Y1によるBに対する性行為の強要(本件不法行為)があったと認定することはできない」等として「原告の主張する本件不法行為は認められない」として請求を全て棄却しました。

○「原告の主張する本件不法行為」は、上司による「性行為の強要」でした。「性行為の強要」はなく、妻と上司の不貞行為を理由とする損害賠償請求であれば、現在の判例状況では、少しは損害賠償請求を認めたかも知れません。極めて珍しい事案であり、全文紹介します。

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主  文
1 原告の請求をいずれも棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由
第1 請求の趣旨

 Ⅰ 被告らは,原告に対し,連帯して,330万円及びこれに対する平成24年12月23日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
 Ⅱ 訴訟費用は被告らの負担とする。
 Ⅲ 仮執行宣言

第2 事実関係
Ⅰ 事案の概要

 本件は,自己の配偶者が職場(被告信金)の上司(被告Y1)から長期間にわたって性行為を強要されたことにより,精神的苦痛を被ったと主張する原告が,被告Y1に対しては,不法行為(民法709条)に基づき,被告信金に対しては,使用者責任(民法715条)に基づき,連帯して,慰謝料300万円及び弁護士費用30万円並びにこれらに対する不法行為の最終日である平成24年12月23日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求めるものである。

Ⅱ 基本的事実(争いのない事実,括弧内記載の書証及び弁論の全趣旨により認められる事実)
1 当事者等

(1) 原告(昭和45年○月○日生)は,平成9年3月30日,B(昭和46年○月○日生,以下「B」という。)と婚姻し,その間に2人の子(長女C平成11年○月○日生,長男D平成13年○月○日生)をもうけた(甲1)。
(2) 被告Y1は,被告信金の従業員である。

2 B及び被告Y1の被告信金における稼働状況
(1) Bは,平成元年4月,a信用金庫(現在の被告信金)において正社員として働き始め,平成5年12月退職した。
(2) Bは,平成15年頃,被告信金の子会社である人材派遣会社(株式会社b,以下「b社」という。)に就職し,被告信金c支店に派遣され,再び被告信金で働くようになった。
(3) Bは,平成17年,被告信金d支店に異動したところ,同支店において,被告Y1は推進役として稼働していた。
(4) Bは,平成20年7月31日,被告信金e支店に異動した。
(5) Bは,平成25年6月,b社を退職した。

3 Bと被告Y1の性的関係等
(1) 被告Y1とBは,平成18年7月12日から平成24年12月23日までの間,少なくとも月に1回程度は性行為を行っていた。また,この間,被告Y1は,Bにプレゼントを贈ったり,コンサートや野球観戦等のイベントに誘ったり,食事に誘ったりもしていた。
(2) 原告は,平成25年1月17日,Bから,被告Y1との上記関係を聞かされて,これを知った。

4 本件訴えの提起及び消滅時効の援用
(1) 原告は,平成28年7月14日,被告らに対する本件訴えを提起した。
(2) 被告信金は,同年9月1日の本件第1回口頭弁論期日において,原告に対し,消滅時効を援用する旨の意思表示をした。

Ⅲ 争点及びこれに関する当事者の主張
1 被告Y1の原告に対する不法行為の成否(争点1)
(原告の主張)
 被告Y1は,平成18年7月12日,被告信金d支店の送別会の二次会からの帰宅途中,道案内を装ってBをホテルに連れて行き,性行為を強要し,同日から平成24年12月23日までの間,同様に性行為を強要し続けた(以下「本件不法行為」という。)。Bは,被告信金内でBの上司である被告Y1との関係が噂になれば,派遣社員でもある立場の弱い自分が悪者になってしまい,また,子らの教育費を捻出するために被告信金で稼働し続ける必要があったことから,平成18年7月12日の出来事について警察や被告信金に通報することもできず,以後これに乗じた被告Y1からの誘いを断ることができず,性行為に応じざるを得なかった。

 上記のとおり,被告Y1は,原告の配偶者であるBに対し,約6年5か月間の長期にわたって性行為を強要し続けた(本件不法行為)ところ,これを知った原告は多大で計り知れない精神的苦痛を被った(単なる不貞行為の場合以上に大きな精神的苦痛を被った)ものであり,これを慰謝するには300万円を下らず,その1割に相当する30万円は被告Y1の原告に対する本件不法行為と相当因果関係のある損害となる。

(被告Y1の主張)
 被告Y1が,原告の主張する期間,Bと性行為を行っていたことは認めるが,これは全て合意によるものであり,被告Y1において性行為を強要した事実はない。また,被告Y1はBの上司ではなかったし,平成18年7月12日に送別会の二次会が行われたこともない。

2 被告信金の原告に対する使用者責任の成否(争点2)
(原告の主張)
 たとえ,被用者の職務の範囲を逸脱した行為であっても,使用者の事業の執行に密接に関連する行為であれば,外形的,客観的にみて,「事業の執行」に当たるといえるところ,被告Y1による本件不法行為は,退職する従業員を慰労する趣旨で開催された送別会の二次会の帰りに,被告信金内における地位の上下関係を利用して行われ,その後も同上下関係を利用して継続されたものであるから,被告信金は本件不法行為について使用者として責任を負う。

(被告信金の主張)
 被告Y1がBに対して性行為を強要したことは知らない。また,同事実があったとしても,これが「事業の執行」に当たることは争う。特に,Bが被告信金d支店から別支店に異動となった平成20年7月31日以降は,被告Y1はBの上司ではないし,職務執行上の接点は何もない。
 また,被告信金は,セクハラ防止のための雇用管理上の措置を講じており,使用者責任を負うものではない(民法715条1項ただし書)。

3 消滅時効の成否(争点3)
(被告信金の主張)
(1) 原告は,平成25年1月17日に被告Y1とBとの関係及び被告Y1がBの職場の上司であることを知ったというのであるから,不法行為に基づく損害賠償請求権は,平成28年1月17日の経過により時効消滅する。
(2) 債務の承認に関する原告の主張は否認する。被告信金の担当者は,原告からの電話に対し,被告Y1が人事部付となった(降格処分ではない。)と述べただけであって,これは債務の承認ではない。また,同担当者は,同時に事実関係を調査している旨も述べており,事実確認が未了である以上,債務の承認ができるはずがない。

(原告の主張)
 原告は,平成25年7月19日,被告信金人事研修部に電話をかけ,本件不法行為について被告Y1がどのような処分を受けたか尋ねたところ,被告信金の担当者は,事実関係は調査中であると回答したものの,職務のない人事部付となっていることを伝えた。つまり,被告信金は,原告の被告信金に対する使用者責任に基づく損害賠償請求権が存在することを認識した上で,原告に対し,被告Y1に対する降格人事を行ったことを伝えたものであり,黙示に債務を承認したといえる。


第3 当裁判所の判断
Ⅰ 争点1(被告Y1の原告に対する不法行為の成否)について

1 前記基本的事実,証拠(甲3~11[枝番のあるものはこれを含む。])及び弁論の全趣旨によれば,次の事実が認められる。
(1) Bは,平成15年頃から,派遣社員として被告信金で働き始めたところ,平成18年4月21日以降,Bが当時勤務していた被告信金d支店における上司であったE(以下「E」という。)との間で数回性行為を行った(これらがEの強要によるものかは明らかではない。)。なお,平成25年になって原告にEとBとの上記関係が発覚し,同年,原告とEとはこの件に関して和解契約を締結した。

(2) Bは,平成18年7月12日から平成24年12月23日まで,被告信金d支店において勤務していた被告Y1との間で,少なくとも月に1回程度は性行為を行った。また,この間,被告Y1は,Bにプレゼントを贈ったり,コンサートや野球観戦等のイベントに誘ったり,食事に誘ったりもしていた。

(3) 原告は,平成25年1月17日,Bと被告Y1との上記関係を知り,同月18日,被告Y1に対し,事実を確認するとともに謝罪を求めたところ,被告Y1は上記関係を認め,以後,損害賠償請求に係る交渉が行われることとなった。

(4) 原告及びBから同交渉の委任を受けたF弁護士(以下「F弁護士」という。)は,同年9月10日,被告Y1から同交渉の委任を受けた被告Y1代理人(金井克仁弁護士)に対し,①被告Y1がBの意思に反して性的暴行等を行ったことを認め,原告及びBに謝罪すること,②被告Y1が損害賠償金として300万円を支払うこと,③被告Y1の妻がBに対する損害賠償請求等を行わないこと,④原告及びBは警察署への被害届を撤回することなどを内容とする合意書案を提示した。

(5) 被告Y1代理人は,同年10月13日,F弁護士に対し,上記合意書案を受けて,①被告Y1がBと性的関係を含む交際を行っていたことを認め,原告に謝罪すること,②被告Y1は原告に対して損害賠償金150万円を支払うこと,③原告及びBは警察署への被害届を撤回することなどを内容とする対案を提示した。

(6) その後もF弁護士と被告Y1代理人との間で交渉は継続されたところ,被告Y1代理人は,平成26年5月8日,F弁護士に対し,最終提案として,①被告Y1がBと性的関係を含む交際を行っていたことを認め,原告に謝罪すること,②被告Y1は原告に対して損害賠償金50万円を支払うこと,③原告及びBは警察署への被害届を撤回すること,④被告Y1の妻がBに対して損害賠償請求をし,Bがその支払を余儀なくされた場合は,被告Y1の負担部分について,被告Y1は,原告及びBと協議することなどを内容とする合意書案を提示した。これに対し,F代理人は,損害賠償金の額が減額された理由を尋ねるなどしたが,被告Y1代理人からは応答がなく,同年12月頃,F弁護士は,原告及びBとの委任契約を解消した。

(7) 原告は,平成28年1月13日,被告Y1に対し,Bが夫子ある身であることを知りながら長期にわたって被告Y1がBと性的関係をもったことにより一生消えない心の傷を負ったこと,被告Y1の上記行為は原告がBに対して有する貞操権を侵害し,夫婦関係の平穏を破壊する不法行為に当たること,慰謝料として500万円を請求することなどを記した内容証明郵便を送付し,同郵便は,同月14日,被告Y1に到達した。

2 上記1で認定した交渉経過に照らせば,Bは,原告に対して,被告Y1に性行為を強要された旨説明したものの,被告Y1においては,Bとの性行為を含む関係を継続してきたことは認めつつ,それが強要によるものであることは認めていないことに加え,Bと被告Y1との関係は約6年半にも及んでいる上,必ずしも性行為のみならず,被告Y1がBに対してプレゼントを贈ったり,被告Y1とBとが一緒にイベントに参加したりもしていたことを併せ考えると,被告Y1によるBに対する性行為の強要(本件不法行為)があったと認定することはできない。

 この点,原告は,被告Y1による強要の証拠として,平成25年2月8日における原告と被告Y1との会話内容(甲21,22)及び同月18日におけるBと被告Y1との会話内容(甲21,23)を挙げるが,そもそも,前者の会話は,被告Y1の勤務時間中に原告が被告会社にかけた電話において交わされたものであり,被告Y1が自由に発言することができない状況下のものである上,被告Y1においては,被告Y1が誘って性行為を持つようになったこと,被告Y1がBとの関係を続けたいと思っていたこと以上の事実を認めたものではなく,これによって性行為の強要があったと認定することは到底できない。

 また,後者の会話も,専らBにおいて,「ホテル誘われて行こうって言ったとき,私,困りますって言ったよね(被告Y1の返答は,覚えていないというもの)」「やめようって何回も言ったよね(被告Y1の返答は,3回言われたことは覚えているというもの)」などと質問して,被告Y1の応答を促すものであるし,同時に,せっかく被告Y1がとってくれたイベントのチケットなので,週末で都合をつけにくかったが,行かないと悪いと思って無理して都合をつけて行ったという趣旨の発言もしているのであって,やはり,被告Y1との性行為を含む関係が,被告Y1に強要されたものであったと認定できるような内容とはいえない。加えて,Bは,同会話において,原告に発覚する前にやめたかった,誠心誠意謝ったら原告が許してくれるかと思ったが許してくれなかった,自分のしたことの大きさが今になって初めて分かったなどとも発言しているのであって,これらの会話も併せ考慮すると,被告Y1に強要されて性行為を含む関係を持ち続けたなど認めることは到底できない。
 以上のとおりであって,原告の主張する本件不法行為は認められない。


Ⅱ 以上からすれば,その余について判断するまでもなく,原告の請求はいずれも理由がないから,これを棄却することとする。
 東京地方裁判所民事第24部 (裁判官 武部知子)